ランキング

 ランキングUPのため、
 クリックお願いします。
            ↓
      

        

カウンター

 
 ご訪問ありがとうございます!

                      

カレンダー

 お正月まで、あと・・・
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< October 2019 >>
                       

時計

 
 ご飯まで、あと・・・
          

書庫


投げ逃げ

0
     期末試験が終わり、O笠原軍団はI袋駅近くのボーリング場に行くことにしました。
     建物の何階かにあったフロントで受付を済ませると、前回来たときとは違い、フロントの上の階にあるボーリングレーンを案内されました。

     ボーリングを終え、フロントに向かい、階段を降りていると、誰かが「会計せずに、このまま階段を降りて帰っちゃおうか」と言いました。
     全員が瞬時に暗黙の了解をして、あえてゆっくりと階段を降り、建物を出て、ほっとひと安心して歩いていると、背後から「待てー」と大声で叫びながら店員の人が追いかけてきました。

     軍団のメンバーは、まさにクモの子を散らした様に、ばらばらの方向に逃げたのでした。
     無事、誰も捕まりませんでしたが、これ以後、このボーリング場に行くことはありませんでした。

     ちなみに、この行為は利益窃盗といわれ、罪にはならないそうです。  代金は支払わなければならないし、道徳的に非難されることですが、罪として罰する程のものではないとしている様です。
    法律は慈悲深いものだなと思いました。


    300円

    0
       高校生の時、3日間の短期のビラ配りのアルバイトをしました。
       雑居ビル内の怪しげな事務所に行くと、パンチパーマの恐いおじさんが居ました。
       「募集には時給と書いたけど、配った枚数に応じて金を払う。普通にやれば、時給分は配れる。」との説明がありました。

       定期的に、配った枚数をチェックしに来るのですが、2日目に、同じアルバイトをしてる女の子の枚数が、倍増しました。
       ヤバイなと思っていると、その日の夕方、その女の子はその場で帰らされていました。

       渡されるビラの束の横に、二本線とか三本線とか、配った人を区別できる様にしてあったので、何枚もまとめて捨てられたビラを見ると、誰がやったのかバレてしまうのでした。

       無事3日間のアルバイトを終えて計算すると、時給300円でした。


      マルチクラブ

      0
         O笠原軍団の内、同じクラスのカブとM田とは、ジュース部、お菓子部、日焼け部など多くのクラブ活動を共にしていました。

         ロッカーには各自マイカッブがあり、当番の人がお菓子、ジュースを買ってきて、授業を効果的に受けることができました。

         日焼け部は夏季のみの活動ですが、昼休みや、サボっても大丈夫な生物の授業を活動に充てていました。

         M田は一人でスイミング部の活動もしてました。机にタオルを敷いて、休み時間を跨いでグーグー睡眠していました。

           

        体育着 VS 学生服

        0
           O笠原軍団は、登校するとすぐに体育着に着替えます。授業で柔道がある日は柔道着に着替えます。

           校内では変な目で見られることもありますが、授業の合間の10分休みは体育館のマシンで筋トレ、20分休みと昼休みは校庭でバスケが日課なので、動きやすい恰好が求められるからです。
           プロレス好きの団員は、高跳びで使うぶ厚いマットでプロレス技の練習をします。

           チャイムが鳴り、少し遅刻して教室に戻り、息を整え、汗をぬぐい、お菓子をつまみにジュースを飲みながらおしゃべりをしていると、あっという間に次の休み時間です。

           目的もなく、あふれるエネルギーを無駄に放出する、セレブの様な贅沢な日々でした。

                  

          ゆとり教育

          0
             学校に遅刻しそうになり慌てていると、T田の馬場駅のホームで団らんしているO笠原軍団のメンバーがいました。
             O崎豊にはまっていて、決められたルールに束縛されていると強く感じていた自分には、その姿は「自由」を体現している様に映りました。
             O笠原軍団への入団を決意した瞬間でした。

             たしか、団長は3年間で200回以上遅刻していました。
             遅くても午後には登校するカブが来ないので、放課後家を訪ねてみると、すやすや寝ていました。カブのお母さんは、学校に行ったと思ってたと笑いながら、優しくもてなしてくれました。

             O笠原軍団は「ゆとり教育」を、時代をはるか先取って、はき違えた形で、みずから実践していました。


            << | 2/6PAGES | >>